女であること

妊娠し出産も経験済で子育てをする。

 

二十歳に成るまで責任を持ち教育する。

26歳だがマニュアルに載っているであろう生きていく中で大切な項目を、大体経験したから「死ぬこと以外かすり傷」精神で生活をしている。生活といってもただ時間が繰り返されあっという間に時が過ぎてしまう行為だ。

自分が後に、壁にぶつかるとしたらどんなものかと考えた。

子どもが将来誤った道を歩む。

私がいくらどんなに子どもを大切にしても、外す時は外してしまうものだろう。度を越す干渉は決してしないと誓っている私は、それでもちゃんとした道をなんとか子どもは歩んでくれるのだろうか。

もちろん不安だけど決めるのは子どもだ。強制はせず支えてしっかり自分で選んで欲しい。甘えられる環境も創り、どうしても悩んだ時は甘えられる人間になって欲しい。それが自立だと思う。これで問題が起きて放任だったと言われたらうるせぇ黙ってろと言う、絶対言う。

 

私が病気になる

私が倒れてしまったらもう家族としては機能不全。上記の教育論さえ無駄になり兼ねない。生活をするに当たり仕事も大切。休む訳にはいかないといつもお尻を蹴り上げて出勤している(今週はインフルエンザでお休みしたけど)

また別で書こうと思う事がある。体調管理は絶対だと思うのなら、しっかり毎年健康診断も受ける。これは大事。

兎に角、私を軸に成長していく存在がある内は身体なんて壊してる余裕が無いのだ。私の母は体調が悪い時でも何でも「気持ちの問題」で解決するハードコアなタイプである。大抵な事は心の持ち様で菌も寄り付かずどうにかなるらしい。ただ私がこの間インフルエンザに感染した際、マスクを外した私を見ると走る様にその場から逃げ、咳をするとウイルスの飛沫の心配をし加湿器をフル稼働させる母。朝昼晩と熱を計って移ってはいないかと都度確認していた。「気持ちの問題」とは。

 

きっとこの先色んな壁にぶち当たりに当たりまくって血だらけで死んでいくような気がする。でもその方が鉄砲玉みたいで格好いい。こうして書くことによって、私のもやもやとした鬱憤を消化する事が出来るのだ。文章は自分の本気を宿す印にもなる。

ただただ思った事を殴り書いたのは恥ずかしいが、思った事は言わなくちゃきっと一生言えない。

 

やっと眠れそう。おやすみなさい。